銀座のソニービル閉館


こんにちは。

3月31日の昨晩、数寄屋橋交差点で、SONYビルにスマホのカメラを向ける人がたくさんいたので、何だろ?って思い、便乗して私も数枚パチリ、、、

その理由は、後から知りました。

Goodbye Sony Building, Hello Sony Park.


SONYビル
のサインにも書かれていたように、閉館。
それも、昨日3月31日(金)に幕を閉じたのです。

1966年4月29日に企業のショールームとしてオープンして以来50年。
まさに、銀座のランドマークでしたね。

これからは、「銀座SONYパークプロジェクト」としてリニューアルされ、2022年には新たなSONYビルができるそう。

SONYビルの思い出

ここと4丁目交差点の日産ビルは、待ち合わせ場所の定番でした。
スマホも携帯電話もない頃、、、待ち合わせの時間に早く着いた時は、ハイテクの未来にウキウキしながら、オシャレな館内をフラフラしていたっけな。

地下のSONY PLAZAも大好きだった。
独特の品ぞろえで、海外に行った気分になる可愛い小物は、ここでしか買えなかったからね。

SONYの製品は憧れの的だった

SONYビルでは、昨年11月から2月まで、It’s a Sony 展 が開催されていました。
懐かしいSONY製品がたくさん。
行きたかったな〜。

幼少の頃、我が家には、SONYのカラーテレビがありました。
それだけで、自慢だった。
「岡崎んち、SONYのテレビだぜ〜」って。(笑)

中学の頃、ラジカセを買ってもらい、

1979年発売。まさに16歳の時でした。

高校の頃は、ウォークマン。
修学旅行には、ほぼ皆んなが持ってきてて、移動中黙って聴いていたっけな。

初期の頃から、携帯電話もSONY。
小ちゃいのが、オシャレで実は使いやすかった。

最初に買ったデジカメは、サイバーショットだし、、、

パソコンは、VAIOだし、、、
SONY製品と言うだけで、性能は他社と変わらないかも知れないけど、高くても買った。
高くても売れた。

デザイン、遊び心、センス、、、何もかもバツグンで憧れだったしね。


それが、今はぜ〜んぶ、Appleになっちゃった。

何だか、寂しい。

日本は、車もパソコンも、世界のNO.1になるけれど、モノがデジタルに変換する時、スルスル、、、と落ちてしまうそう。

日本は高い技術力で、製品、完成品としてNO.1だったのが、今はパーツのみの輸出国になってしまいました。
でも、パーツだけだと、次から次へ代わりに優れたものが出てきてしまっています。危ない、、、

例えば、初期のi-phoneの中身は、実は100%日本製だったのが、i-phone 6辺りでは20%。

製品として、完成するクリエイティブな商品がないと、いくら高い技術の日本と言えども危ない。

懐かしのSONYビルが閉館しただけなのに、、、
もちろんSONYはまだあるし、、、
何だか、無くなっちゃったような内容だけど、そんなことはないですよ!

あ、私の一眼デジカメは、SONYだしっ!!

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岡崎博之

岡崎博之

私は1963年、東京の下町両国に岡崎家の長男として生まれました。 生まれも育ちも、住まいも会社も、みんな両国のチャキチャキの江戸っ子です。せっかちで、いつもかなり熱くなっちゃう怒りん坊、、、だけど涙もろい性格。(笑) 家業の60年を超える老舗ニット会社、丸安毛糸株式会社の3代目社長になり、14年が経ちました。 これからは「世界中のニットを愛する人たちが集う会社」を目指して、どんどん世界に出て行きたいな。 海外留学の経験から、世界の人と交流することが大好き。旅をすること、ゴルフをすること、美味しいものをたくさん食べることが、大切なライフスタイルです。最近はそれに加えて、カメラを持ち歩きたいな!なんて考えています。
岡崎博之

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