一番影響を受けた大好きなデザイナーさん


デザイナーでありマーケッターのネルソンさん

こんにちは。

今はNY在住で20年来の友人、ネルソンさんが、わざわざ私に会いに、d &a NYの展示会場に来てくれました。今回NYに来て、心から嬉しい出来事でした。

ネルソンさんは、デザイナーでありマーケッターであり、糸から物作りの全てをハイレベルで熟知している数少ない人です。日本でも大人気の誰もが知ってる大手アパレルの企画のトップを長く勤めていたんですよ。
私がファッション業界に入ってから1番影響を受けて、1番教えてもらった恩人です。

私の恩人、ネルソンさんと

近況を話したら、またまた貴重な話とヒントをいただきました。こんな凄い人に応援してもらって、本当に仕合わせだな〜って思いました。

そんなネルソンさんの事を書かせて下さい。

時は、21年前にさかのぼります

私の仕事の大きな転機は、1995年(平成7年)2月、私32歳の時、初めてイタリアのPITTI FILATI に行ったことです。
PITTI FILATI とは、フィレンツェで年2回開かれる、世界最高峰のニット用糸の展示会です。
今でも毎年、私やスタッフの誰かがリサーチや仕入に行っています。

父が輸入糸を扱ってから、誰もタッチしていなく、行っていないこともあえて疑問に感じていませんでしたが、当時のライバル会社の素材デザイナーに、「PITTI FILATIに行ったことないの? 天下の丸安さんが!」と、馬鹿にされたからなんです。(笑)

英語は問題ないので、旅自体はいいのですが、生まれて始めてのヨーロッパは感動し、初めてミラノのDUOMOに足を踏み入れた時は、言葉も出ず、歴史に飲み込まれてしまいました。

PITTI FILATIも、衝撃的でした。

素材の素晴らしさ、編地の感覚の良さ、会場の見せ方、、、すべてにおいて、お洒落で、自分の今までの概念を壊されました。

また、世界中から集まる沢山のデザイナーさん達も見た時、世界中にこんなに沢山の人達がニットを創っているんだ! と、嬉しくなり、日本の狭い世界にいた自分を反省し、もっともっと世界を見て作らなければ行けない。と、意欲が湧き上がってきました。帰路、一緒に行ったスタッフの小見と良く話をしました。

同時に、馬鹿にしてくれたデザイナーさんには(笑)、本当に感謝しました。
これを機に、会社も自分も、素材作り、編地提案など、加速して行きました。

また、この年に会社は、40周年を迎えました

そんな時、ミラノ在住の日本人デザイナーの小川健一さんから、デザイナーであるNELSON LIさん、そう、このネルソンさんを紹介していただいたんです。年齢は幾つだろう。今となっては忘れてしまいました。(笑)
10歳くらい上でしょうか。

知り合った時からかなり有名で、自分のブランドでパリコレに出ていましたし、PITTI FILATIをオーガナイズしたり、リネアピュー、フィルプッチで糸のデザインもしていました。
特にニット製品には秀でたものがあり、日本にも商品は輸入されていたし、多くのアパレルのデザイナーさん達は、よく彼の商品を購入し真似ていました。

ネルソンさんは、すごく私を可愛がってくれ、いろいろ教えてくれました。

個人的にトレンド、糸情報をくれたり、日本で我々が作った糸を送ると、これは、レーヨンではなく、麻で作ったほうがいい。番手も細く、、、などなど的確に評価してくれました。

彼に教えてもらったウール100%の強撚の糸は、撚り回数、撚る方向などまで指示してもらい、ヒット商品になり、その後の糸の企画にさまざまな形で応用しました。

ネルソンさんが日本に来た理由

ある時彼が、是非日本のアパレルと契約したい。という話があり、日本にやってきました。

ちょうど、私たちの一番の取引先で、当時日本で一番売れているニットメーカーさんが、2番目のブランドを作る計画があった為、そこをご紹介しました。

ネルソンさんは、その会社が何故売れているか、商品を見ただけで的確に語りました。
この布帛と同じ作りのニットは世界中探してもない。これには、その会社の社長一同が驚き、優秀さをすぐに認め、是非契約したい。と言う話になりましたが、ネルソンさんは慎重でした。

私が通訳で、何度も何度も彼と話をして、思いとか、やりたい事を伝えました。普通の雇いの通訳では、言葉の奥深さまで、伝えられなかったでしょう。

彼も私を頼り、信頼してくれました。何度か来日して、その度に美食家の彼と、毎日毎日、週末も彼と夕飯を共にしました。

そしてそのアパレルメーカーさんとも何度も何度も打ち合わせをしました。

しかし、ネルソンさんは簡単にはOKを出しません。

日本人側としては、いい加減に決めてくれ!と言うイライラ感がつのった頃、彼は金額ではなく、何が自分として出来るか。を追求し続けていたのです。

結果、やっとOKの返事を出しました。年間ウン千万円の契約でした。

 ネルソンさんの衝撃的な言葉

ネルソンさんは、日本には住まず、出張ベースでの来日。

私もそれ以降は、常に通訳するわけにはいかず、しかしその会社が頼んだ通訳とは全く意思の疎通が出来ず、うまくいかず、彼は本来のやりたかったブランドのデザイナーではなく、アドバイザー的な立場となってしまい、最後には愚痴ばかりこぼすようになってしまい、わずか1年で契約は終了してしまいました。

残念ながら、もう少しこの会社が国際的感覚を持ち合わせていてくれたら、、、と言う私の思い、そして、新ブランドにおいては、物づくりのノウハウ、デザイン、すべてにおいて彼が優秀すぎた為、下に見てしまったのも原因の一つかもしれません。

彼の言葉の中で、特に印象的だったのは、何が得意なデザイナーさんなのか?の答えが、「私にとって、ファッションはアートではない。ビジネスだ。」というものでした。

彼は、自分が作りたいものを作るのではなくて、マーケティングをし、ターゲットを絞りそれに向けてモノを作る。その分析力もある。だから、何でも出来るよ。

そう言う意味でした。
すごい自信でした。

それまで私は、こんなのが好き!と言い、コピーする多くのデザイナーを見てきましたし、また、自分の作りたいものを作るのがデザイナーであり、私はある意味、デザイナーは芸術家と同じと思っていたので、これは衝撃的な言葉でした。

ネルソンさんとの出会いで感じたこと

そして、彼が日本を去る時、こう言われました。

感謝の言葉と同時に、「岡崎さん、服は絶対になくならないよ。業界にいろんな人がいるけど、何も考えていない人が大半。でも岡崎さんは、大丈夫。心配しなくていいよ。でも、考えてばかりじゃなく、行動しようね。」

更に、「君は、最高のインタープレターだったし、動きはエクセレントだった。僕たちの友情は永遠だよ。 」

本当に苦労が報われ、嬉しかったです。

その時、感じるものがありました。自分は、ナンバーワンタイプではないのかもしれない、、、って。(笑)

トーメン時代も先輩に、お前は最高のアシスタントだ!言われたように、フォロー役が強みなのかな、、、と思いました。

ネルソンさんはその後、ニューヨークに渡り、セオリーの企画トップになりました。続いて自身で“IISLI”と言うブランドを立ち上げ、ニューヨークコレクションを行い、これも大成功します。全米のお店に入りました。

スタートは”セオリー“のオーナーからの出資だったそう。このブランドも、80%がニットでした。
そんなコレクションは、糸から熟知している彼しか出来ないのでしょうね。

彼は多くのイタリアの糸屋さんに、素材の大切さを伝え、自分の特注の糸を作らせました。
皆んなが彼の企画した糸を褒め、その後自社のコレクションに加えるほど、その実力を認めていました。

ネルソンさんに与えてもらったもの凄い経験

その頃は、ネルソンさんとは、メールでたまにやり取りしていました。
彼のところには、日本からも沢山の取引の依頼が来ます。

日本で彼の商品を展開したいのです。その度に、こんな会社が来たけどどう思う?とか、その会社を調べてくれ、と頼まれ調べました。

そこは彼も慎重で、自分のスタンスを全く崩しませんでした。

売上が欲しいわけではない。商品だけ単品で買われるのではなく、きちんとブランドとして、展開して欲しい。

しかし、日本のアパレルからは、その条件を満たすに充分なプレゼンテーションがなかったそうです。

私は、ニューヨークは取引はなく、行く機会もなかったのですが、2005年10月、経営者の勉強会でニューヨーク視察があり、その時もちろん彼を訪問しました。

大ヒットブランド、IISLIを展開している彼に、丸安の糸や、製品を見てもらい、高い評価をいただき、すぐにサンプルのオーダー。

すごく評価をしてくれて、大変嬉しかったのですが、、、

殺人的なメールの多さ、スピード、時差なんて関係ない電話、、、これが、アメリカの商売か!を実感しました。

ニューヨークコレクションには10型近く出しましたが、値段にどうしても無理があり、残念ながら、本番の製品オーダーまでは、たどり着きませんでした。

しかし、今思えば凄い経験をさせてもらったんですね。

そして、再会

このようにネルソンさんは、私が知り合った中で、糸からデザインが出来、作りのノウハウも全て持っているもっとも優秀で尊敬できるニットデザイナーです。

2年前でしょうか、、、イタリアのPitti Filati で偶然ネルソンさんに会い、その時はイタリアに住んでいたので、今回もまだイタリアにいると思い連絡はしなかったのですが、ご縁あり、d&aで紹介していただいた方もネルソンさんをご存知で、その場で彼に連絡を取ってくれて、翌朝の再会になったのです。

ご縁は繋がりますね。

いい仕事をとことんすれば、それが質になり、そして信用になる。
信用がご縁になり、それがどんどん繋がっていく、、、

そう思っています。

Nelson-san See you soon!!

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岡崎博之

岡崎博之

私は1963年、東京の下町両国に岡崎家の長男として生まれました。 生まれも育ちも、住まいも会社も、みんな両国のチャキチャキの江戸っ子です。せっかちで、いつもかなり熱くなっちゃう怒りん坊、、、だけど涙もろい性格。(笑) 家業の60年を超える老舗ニット会社、丸安毛糸株式会社の3代目社長になり、14年が経ちました。 これからは「世界中のニットを愛する人たちが集う会社」を目指して、どんどん世界に出て行きたいな。 海外留学の経験から、世界の人と交流することが大好き。旅をすること、ゴルフをすること、美味しいものをたくさん食べることが、大切なライフスタイルです。最近はそれに加えて、カメラを持ち歩きたいな!なんて考えています。
岡崎博之

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